研修でありながら業務改革でもある
オンライン・ファシリテーターが支援し、人材育成とプロジェクト提案を同時実現
新川 雅之
自律型組織へ向けた当社の研修メニューの特徴を一言で言えば、「研修でありながら業務改革でもある」ということです。単に座学で知識を与えるのではなく、研修プロセスそのものが「組織の強み」を引き出し、「組織のマインド」を変える仕掛けだからです
例えばある企業が「売上が上がらない」という問題を抱えていたとします。通常「売上不振」には、各部門が抱える、「レベル」もバラバラな問題が複合的に絡んでいます。「組織の体制」や「人員配置」、あるいは「目標の立て方」が悪いのかもしれません。他部門のせいにして、責任の押し付け合いをしているケースも少なくありません。
このままでは、問題を正しく把握することも、実現可能な正しい解決策を導き出すこともできません。そして従来の研修手法で、多様で深い各組織の問題を解決することはできません。
当社の研修プログラムが、「研修でありながら業務改革でもある」というスタイルをとっているのはそうした理由からです。
部門横断型のチーム組成
当社の研修では、できるだけ一つの部門に偏らない「部門横断型でのチーム組成」をお願いしています。また、扱う問題も、コンサルタントが出向き、話し合い、実際にいま現場にある問題をご提示いただきます。
組織改革ではトップの断固たる決意が重要です。しかし人の意識はトップダウンではなかなか変わりません。社員同士の「発見」「気づき」から、ボトムアップで変革を組織の文化に根付かせていくことが重要です。
当初は部門間の利害が対立するケースもありますが、これは「良いコンフリクト」です。「発散」と「対立」を繰り返す中で、Aさんが原因の核心に気づく。Aさんの変化にBさんが影響され、Cさんが変わる。このように、お互いに気づきと変化を誘発しながら、ベクトルを合わせていく。それが当社の人材育成および業務改革のアプローチです。
また、早稲田大学はeラーニングとオンライン学習サポートをいち早く取り入れた大学ですが、早稲田大学の関連会社である当社には、その分野のノウハウが豊富に蓄積されています。現在、当社の研修プログラムには、研修にオンラインを双方向で活用するこのノウハウが生かされております。
さらに当社では「オンライン・ファシリテーター」の育成にも力をいれています。専門のファシリテーターが支援することで、現業を担当しながら、時間と場所を選ばずに、こうした研修プロジェクトに参加し、推進することが可能です。
自治体を対象とした成功事例
企業、教育機関ばかりでなく、直近の自治体事例をご紹介しましょう。九州の中でも過疎地である宮崎県の問題は「観光客をいかに増やすか?」。問題解決に必要な人材育成と解決提案を同時に行うプログラムを実施し、先日、その結果を東国原知事にプレゼンしました。これらの提案は、県ですでに事業化されつつあるときいています。
研修に参加したのは、宮崎県職員と各市町村の職員による混合チームの14名。もちろん県と市町村がプロジェクトチームを組むのは初めての経験です。参加者からは「人材育成研修でありながら、極めて実現性の高いプロジェクト案にまとめ上げ、それを直接、知事に発表できたことは非常に貴重な体験」との声もいただきました。
研修の中では実際に宮崎空港に職員が出向き、観光客に「今回の観光の目的は?」「宮崎県のどこに魅力を感じますか?」などのインタビューを行いました。その情報をディスカッションボートやアイデアマップ(図を参照)を使って参加者すべてが共有し、それをもとに提案を変更し、膨らませていく作業が繰り返し行われます。
人材教育で言えば「学んだ成果」、業務改革で言えば「改革のための思考」プロセスがすべて残る。これもネットの活用があればこそのプログラムといえます。
「安全なシェルター」という環境を作る
研修の後、「他部署の人とこんなに腹を割って話したことはない」「これほど自分の意見を述べたのは初めて」と言った声がよく聞かれます。ふだん、部門別に業務し、ときに利害が競合する関係にあり、「本音を言い合う」「相手の立場にたつ」という経験がほとんどない職場での壁がその原因です。
当社の研修での議論の場は「安全なシェルター」であることが原則です。職場にもどったら、研修での議論は決して口外しない。ポジション・パワーは使わない、使わせない。こうしたルールで、部門の利害や上司の顔色を気にせず、自由に本音を話し合う場を作ります。職場で埋もれている「自分なら、こうしたい」という声を引き出す仕組みをプログラムのなかに組み入れています。
組織改革のための研修を何度も採り入れたけど、なかなか社員が変わらない。研修では大きな成果は期待できない。戦力を長時間研修に割けない。そんな企業・組織のために、これから絶対に必要となるプログラムであると自負しています。(終わり)