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老年の自殺について考える | 大内智久(Tomohisa Ohuchi) 悦楽の館 | ビズテリア

老年の自殺について考える

2015/07/02
自殺っていうと、やっぱり基本的には小説家とか、よくわかんないようなレベルの世界の思想でいくという、一般人とはほど遠いものか、人生に悲観して、というものがあるんだろうし、後者は皆やりはしないけど頭を過るのは変じゃないと思う。それこそ俺も死にたいなって今でも時折考えるんだけど、平均所得はあるし、自宅のローンもなくなったのになぜ?って思うと、これは人生が最終的には寿命を目指してなんとか時間をやりくりしてるだけじゃないか?っていう気持ちがかなりある。金を得ても、じゃあ中産階級は何をしたかというと、海外にちょっと遊びに行くとか、ディズニーランド行くとか、やはり何かを買わされるのに乗るだけで、仕方ない。してみると今の野球人気は当たり前で、頭を自分達も使いながら見れたり、成長したり引退したり人間を観れるし、即戦力即戦力っていう、あり得ない企業の要求とは対照的な育成っていうのは、羨ましい。やっぱり人間娯楽も頭を使いたい、だから老人になって趣味をはじめても、直ぐにできますっていうのは、案外よくないのかもしれない。貧しくなるのは、年金が豊かな時でも働いてた時より落ちるのは仕方ないのだが、こんな時は頭を使う趣味の有無が一番大きいかもしれない。とにかく死ぬんだ…っていうのは老い先を考えなくても、我々でもいつかは訪れる死に向かってもう毎日引き算では参るのだが、獣ではないからには頭を使うのは人間に一番向いてるし生きるのには
一番いい。だから知識人も儲けるんじゃなくて、財産から身まで持ち崩しながら残した作品…という意識がないといけない。やたら新書をだすより、宗教的にはレッドカードだけど、ついにあいつは考えて書いてしまったとか、自らの摩滅が、他の人間にはあ、やっぱり俺はあそこまではできないから丁度いいかな、って思わせないと、金を追い出したらきりがない。知識人の頑張りは金儲けからさえも離れてよくわからないけど何かに駆り立てられながら凄い作品を造り上げることで、未来は経済でよくなるんだって思わされてきたに
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